2024年8月4日から6日に広島で開催された原水爆禁止世界大会に青年5人で参加してきました。5人のうち3人は今回が初めての広島で、非常に多くのことを学んで帰ってくることができました。改めてご支援いただいた皆様に深く御礼を申し上げます。
今こそ非核のための連帯を
今回の大会では、依然として終わりの見えないロシア・ウクライナ戦争に加え、イスラエルによるパレスチナへの軍事侵攻が起こり、核戦争の危険性がかつてなく高まっている情勢を受け、「核抑止論」はもはや幻想であり、破滅的な結末をもたらすことは避けられない、ということが切迫感を持って訴えられました。
印象的だったのは、日本以外の国からも被ばくの実態が訴えられていたことです。
大会では、カザフスタンやマーシャル諸島での核実験による現地住民の健康被害についてのスピーチがありました。
また、広島への原爆投下時に日本に併合されていたために被ばくした朝鮮人の方の発言もありました。いずれも、原水爆による身体への長期的な影響を訴える内容で、原水爆が日本以外の国でも多くの人の命を奪っていることを知りました。
カザフスタンの代表の発言では、カザフスタンを含む中央アジア5カ国で非核兵器地帯条約を結んだことに言及されていましたが、原水爆の恐ろしさを伝え、共有し、連帯して核を放棄することの重要性を痛感しました。日本はその旗振り役であるべきだと思います。

広島の地を歩いて
現地では、資料館や史跡巡りもしました。初めて広島市内を歩いて強く印象に残ったのは、再開発されてビルが立ち並ぶ中に、原爆ドームがそびえ立つ光景です。
原爆が投下されたのは遠い過去の出来事ではなく、現在と密接につながっていることを痛感させられました。被ばくにより16歳で白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんは、「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるだろう」と言い残したそうですが、まさに原爆ドームが当時と今の架け橋になっていると感じます。
ガイドの方のお話では、戦後、「つらい記憶が蘇るため原爆ドームを撤去してほしい」という声も多かったそうです。これに対して、原爆ドーム保存運動が活発化し、原爆ドームが今日まで保存されているということでした。
被ばくの惨禍が途絶えずに引き継がれてきた背後には、多くの人の地道な活動があったことを思い知らされました。【T】
